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早期閉経 体外授精 妊娠 出産

神奈川県 H.真理子様より手記

私が不妊症の検査のために婦人科へ行ったのは30歳の時でした。
そろそろ子供が欲しいという軽い気持ちからだったのですが、血液検査の結果は卵巣機能低下による早発閉経という予想もしていないものでした。
生理も排卵もあるのになぜ?と信じられませんでしたが、何度検査をしても同じ結果でした。
排卵はあっても卵子の質が悪いので、妊娠はかなり難しいという診断でした。
どうして30歳という年齢でそんなことになってしまったのか、子供が好きで絶対に自分の子供を持ちたいと思っていたのに、それが叶わないと思うと悲しくてたまりませんでした。

治療法は無く、閉経してしまう前に妊娠するしかないので、できるだけ早く妊娠できるようにとタイミング療法をすることになりました。
それまでは生理不順ではなかったのに、精神的に不安定なせいで不順になってしまいました。
時には無排卵になることもあって、そんな時はどうしようもないほど落ち込みました。
ただ治療をしているだけだと不安になってしまうので、漢方薬や不妊鍼など体に良さそうなものをいろいろ試しました。
不妊鍼は私に合っていたようで、通い始めてすぐに高温期が長くなりました。
これなら妊娠できるかもと思ってしばらく続けましたが、妊娠することはできませんでした。
それから他の先生の意見も聞きたくて何件か病院をまわりました。
どの先生も「閉経してしまう前に早く体外受精した方がいい」という意見でした。
体外受精にまったく抵抗がなかったかと言えば嘘になりますが、できることは何でもしようと主人と話し合っていたので、迷いはありませんでした。

タイミング療法を半年続けた後、体外受精のできる病院へ転院することにしました。
転院先の病院ではすぐに体外受精の準備に入ってくれました。
排卵誘発剤を注射ですることになり毎日通院するという日々が始まりました。
仕事をしながらの通院は大変でしたが、これで妊娠できるかもしれないという期待があって、苦ではありませんでした。
でも結果は卵が1つしか育たない上に変形していて、採卵さえできませんでした。
注射の排卵誘発剤は私の卵巣には刺激が強すぎて反応しきれなくなるというのが原因でした。
排卵誘発剤を使ったあとは卵巣を休ませる必要があり、2周期治療しないことになったので、 その間に注射以外の方法で体外受精をしてくれる病院を探すことにしました。
それと同時に体質改善になることをしようと思い、インターネットで探していた時に遠赤療導院のHPにたどり着きました。

前から遠赤外線治療には興味があってやってみたいと思っていたので、遠いのですが思い切って受診することにしました。
当日は遠赤療法と耳ツボを施療していただき、体の芯から温まる感覚でとても気持ち良かったです。
通院できたらどんなに良いかと思いましたが、それは無理なので自宅でできる医療用の遠赤マットを遠赤療導院で購入しました。
それからは毎日、家で腰とお腹を温めました。
ちょうど同じ頃に、自分に合った治療をしてくれそうな病院を探すことができたので転院しました。
まず卵巣を休ませる治療をしたあと、すぐに体外受精の準備に入ることができました。
飲み薬での排卵誘発で予想通り卵は1つしか育ちませんでしたが採卵することができ、受精卵もできました。
その後、胚移植も無事済んで妊娠判定までの2週間は遠赤マットでお腹を温めながら着床するのをイメージしました。
遠赤マットで温めていると不思議と気持ちが落ち着きました。

そして、いよいよ妊娠判定の日、期待半分、諦め半分で検査を受けました。
結果が出るまでの間、もし今回だめでもまた次回頑張ろうと自分に言い聞かせていました。
でも結果は妊娠していたのです!!まさか、本当に?!と、すぐには信じられませんでした。
胚移植する前にビデオで見せてもらったあの受精卵がお腹の中で育ってくれたと思うととても感動的でした。
そしてその後は、トラブルも無く順調に過ごし、平成14年の7月に無事に元気な赤ちゃんを出産することができました。
あれだけ、どの病院でも厳しいことを言われていたのに1度の体外受精で妊娠することができたのは、私に合う治療をしてくれる病院を見つけられたことと、遠赤療導院に出会えたおかげだと思います。
それから、私に決してプレッシャーを感じさせることなく、いつも変わらない態度で接してくれた主人に感謝します。


閉経 自発生理 自然妊娠 出産

焼津市 S.K様より手記

私達家族の幸せは1枚のチラシ広告で始まりました。
順序だてて話をしますと、私は20代初めに死亡率の高い病気を発病してしまいました。
入院して詳細な検査を受け化学療法を主体とする治療が始まりました。
副作用が強い化学療法のため辛いことも有りましたが、おかげさまで病気は完治することができました。
生きられることがこんなにも有りがたく嬉しいものと、この時に初めて実感しました。
その後、以前からお付き合いをしていた今の主人と結婚し、何もかもが恵まれた幸せな生活となりました。
・・・・ひとつのことを除いては。

何よりも命を最優先とした治療を行いましたし、今もその判断は最善であったと確信していますが、お薬の副作用のため治療中から生理は止まっていました。
退院後は婦人科へ行きました。
経緯をすべて話したあと、検査を受けて後日、早発閉経という診断がでました。
卵巣と子宮が機能しないための無排卵と無生理の状態でした。
ホルモン剤を使用すれば人工的に生理は起こせますが、排卵は起こせないため医学的に妊娠する可能性はないと言われました。
それでも、生理があるだけで少しは気持ちが落ち着くような気がしてホルモン剤を定期的に使用して生理を起こしていましたが、やがて虚しくなり人工的に生理を起こすことは1年ほどで止めました。

そのような折、普段は見ることもない新聞の折込チラシのひとつに目が止まりました。
不妊症の体験談が載っていました。
何故か無視できず、書いてあった焼津の遠赤療導院へ行きました。
最初に手と足のツボを測定されただけでしたが、実際に私が抱える身体の不快症状と後天性の不妊を指摘されました。
私からは何も話をしていないのにとても不思議でした。
そのあと身体の状態を詳しく説明していただき、どうすれば健康な身体を取り戻し、妊娠が可能になるのかを話してくれました。

すべてを納得した上で、毎日の遠赤療法と1~2週間に一度の耳ツボ施療を続けました。
通院を開始してから3ヶ月目に自発生理が来ました。
主人と母、そして私も喜ぶどころか驚きのほうが大きくて、わが身に起った現実をすぐには理解できないほどでした。

翌月。「やはり」と言いましょうか。
生理が来なくて元気のでない私を母が「きっと、そのうち」って、気づかってくれました。
「でも、なんか変だな」って気がして病院へ行って診てもらったら妊娠していました。
まさかの驚き、なんという歓び。なんという幸せでしょう。
先月、生理が来ただけでも驚きだったのに、その翌月に妊娠するなんて。
私達、家族にとって最良の日が現実となりました。
療導院の先生に連絡したら、「おめでとうございます。良かったね。どうぞ、大事にしてください」って。ありがとうございます。

平成12年の5月に健康で元気な女の子を出産しました。
主人は口には出しませんでしたが、きっと、ずっと子供が欲しかったんです。
赤ちゃんを抱く時の笑顔でわかります。
出産の直前までお世話になった療導院の先生と皆さんに感謝します。
あのチラシは後にも先にも一度きりしか、出さなかったそうですね。
あの日の幸運に感謝します。私達が願いつづけた家族の幸せが今ここにあります。

追記
更にこの3年後、お二人目を自然妊娠されて翌年、元気な男児を出産されました。


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